浪費癖は病気?
民法に成年被後見人などが記載されているが、その条文に精神上の障害という言葉がでてくる、そしてその用語解説には「精神上の障害」とは、認知症、知的障害、精神障害等を指す。単に浪費者であることは、精神上の障害にあたらない。とかいてあり、そうなんだ、と思っていた。
ですが、知り合いに、浪費癖がひどく全然治らない人がいる。お金がないのに何十万もの買い物や、女性ににお金をつぎ込むひとがいる。そしてそれを繰り返す。
自分は何となく病的に感じていた。そこで、依存症の本を見てみた。「よくわかる 依存症 榎本稔著」をパラパラとみてみました。WHOの依存症の定義は「精神に作用する化学物質の摂取や、快感・高揚感を伴う行為を繰り返し行った結果、さらに刺激を求める抑えがたい渇望が起こる。その刺激を追及する行為が第一優先となり、刺激がないと精神的・身体的に不快な症状を引き起こす状態状態」です。浪費癖は買い物依存症的なメカニズムのようだ。まあ依存症なんだな。
買い物依存は、それが必要というわけではなく、こころの空虚さをもので埋める、あるいは買うこと自体が快感となる依存行為です。「何かむなしい」「友人や同僚とうまくいかない」などの「不全感」がきっかけの1つとなるようです。
最近は依存症を含む精神疾患がふえている。
精神疾患が平成11年には200万人を超える程度だったのが、平成20年には350万人にせまる勢いです。ここ10年で急激に精神疾患が増えているようです。若い人の依存症も増えている。
私は、10年ほど前にたばこ、お酒、パチンコをやめたが、趣味から依存症予備軍の間くらいに位置していたと思う。
たばこは生活に影響を与えるぐらいになっていたと思う。
その時の経験から感じることは、何か人生の目的的なものを見出すことができれば結構やめる方向に進めるのではないだろうか。
もっと力をいれるなら、これを命を懸けてもやりたい、と感じるものがあるならば、当然、それに向けて最短距離でむかうことをかんがえる。そのため余分なものをそぎ落としていかなくてはならないと感じる。
まさに、「心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる」は、松井秀喜選手の座右の銘であるが、もともとウィリアム・ジェイムズ(心理学者、哲学者)の言葉らしい。これなのかな。
大前研一さんは、人が変わるには、心に誓うのでは、変われない。人が変わるには、付き合う人を変える、時間配分を変える、場所を変える、この3つを行えば変わることができるという。
私の場合は、たばこは、ニコレットガムを使い、たばこの自動販売機の前で、吸うか吸わないか腕組みして考えて、買ってしまうときもあった、それを横から他人が見たら、おっさんが、自販機の前でうんうん言ってかなり怪しい人になっていたが、何となくそんなことが数か月続き、何とか1年ぐらいかかってやめた。
お酒も、肝臓の数値が上がったのもあったが、私は、夜にビールを3缶から5缶ぐらい、毎日飲んでたと思う。
夜のビールを、コーラゼロにかえたら不思議とやめられた、なんだったのか、と思うくらい不思議な出来事です。2年間ぐらい飲酒の不安にかられ、コーラゼロばっかり飲んでました。
5年後ぐらいにコーラゼロほとんどのまなくなりた。だけどお酒の誘惑はおこらなかった。
お酒をやめて10年くらいたちますが、まあ特に飲みたいとおもうこともなく行けています。
私は、この状態で一生行くかなーー。と考えてます。
つまらないと思うかもしれませんが、私の心の中には以前にもましてやりたいことができてきています。