遺伝には勝てない?

遺伝には勝てないのだろうか?

克服したいなー。ほんとに。親の7割が遺伝するといわれる。そして、脳神経の発達具合は遺伝することもわかっている。

私の両親は高校卒業し働きはじめ、父親は商業高校卒業して、大和証券に入り、そこをやめ、転々とし最終的には農業、そして、私からみて、おじいさんが家で乳牛を数頭飼いはじめ、それを、父親が70頭ぐらいまで数を増やした。

よく父親は、昔は小作人の家だから、本当にお金がなかった、とよく言っていた。

酪農は、365日休みなしの重労働である。そして、おせいじにもキレイな仕事とはいえない。牛の糞尿が体につくことは日常だ。

そんな厳しい仕事のおかげで、私は、不自由なしに育つことができた。感謝している。

父親の得意は、数学、算盤は得意と聞いているが、自動車免許はもっていたが、そのほかは免許証らしきものなど見たことなかったし、みせてももらってない。

母親は、私立の普通高校出身で、サンコトブキにウエイトレスとして若い時は働いていたと聞いている。

その後、父親とともに酪農をやっていた。

母親は、私自身の記憶でも男並みに働いてたのを記憶している。

両親とも負けん気が強かった。

おじいさんは、どちらかというと、お金儲けはへただったが私が小さい時は魚をさばいて披露してくれたりし、器用な人だった。

おじいさんは、お酒をよく飲み、膵臓をいためるくらい酒豪でしられていたらしい。

おじいさんも気が強く、よく喧嘩をしていたときく。

おばあさんは、頭がよかったと思う、おばあさんの実家から、京都大学に行く人が出たぐらいだ。

これらの状況から、自分のレベルが何となくわかってくる。

どちらかというと、肉体系になるのかなー。

そして、遺伝に関する本を見ると、才能は遺伝がかかわっていること、収入も遺伝がかかわっていること、才能に気づいて育てるには経験と教育が必要であること。

しかし今の学校教育の中で必ずしもできるわけでないこと、それは知能や学力に遺伝の影響が大きいからだということ、学校は遺伝的な能力の個人差を顕在化させるところだということ。

でもこの世の中は学力がすべてでないこと、学力とは異なる遺伝的な才能を生かした人たちでこの世は成り立っていること、才能のないところで努力しても無駄だということ。

人は幸福になるようにデザインされているわけでないけれど、現実には幸福を感じて生きている人もたくさんいる。それは遺伝的才能を生かす道がこの社会に潜んでいるから。

と偉い先生が言っています。

年齢が上がってくれば次第に、遺伝が表に出てくるようになり収入も含め顕在化してくるという。

IQの70%、学力の70%から90%は自分ではどうすることのできないところで決定されるということです。

私の場合は、やはり農業しかも酪農は可能かもしれない。しかし、私ももう人生の最終段階にさしかかっています。

しかし、現状に納得していない。

もっとできるんじゃないか、と考えてしまう。

そして、酪農をやるにしても、それだけの経済力もなし、そんな時はどうするのか、

絶対優位がだめなら、比較優位でいくということ。

結局のところ、好きなことをやっていく、気持ちがいいと感じることをやったほうがよほど能力が発現する可能性は高いはずです。

比較優位でいけば、世間に対し好影響を与えることができる。と先生は言っている。

じっと、考えてしまうなー。本当にー。

自分自身、年を重ねるごとに親父に似てきてるなー、と日々感じる。

これは、遺伝の形質が現れてきているということかもしれない。

あいつ変わったな、というのは、遺伝のあの部分の形質があらわれてきている、とみるというのがただしいということのようだ。

もう今年で、46歳になります、遺伝の形質表現をするための自分探しはできそうにないし、家族をみわたしても絶対優位な形質はない。

とすれば、残される選択はやはり比較優位、さあどうしようか。

 

 


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