1人旅その2、電車と船旅
1人旅その2、電車と船旅
私は、何となく遠くまで行ってみたと考えたことがあります。若いときですが、勉強するのも嫌だし、働くのも嫌だしということで、自分自身が追い込まれた状態だったのかもしれない。若い時なので、とくにはその辺りのことはよく考えなかったが、手にする金額は2~3万円で、時間が比較的あったので、エイっとばかり兵庫県淡路島の家を出た。
その時は、北に行くのか、南にいくのかも考えずに家を出ていたので、東浦町の、明石市に向かう播但汽船という船を使います。その明石市に行くまでに、北にいくのか、南に行くのかを考えておかなければならなかった。
季節は、春頃だったと記憶している。
万が一、お金が無くなり、野宿をすることになった場合を考えると、北の方は寒いので、到底野宿はできないだろう、だから、南の方が無難かなと考えて、JR明石駅から、各駅停車で、南の方に向かった。
初日は、広島までいき、そこで、広島の街をうろうろし、カプセルホテルを探し、そこで1泊した、そして、またJRで、下関までいき、そこから、バスに乗り換え、福岡まで行ったと記憶している、そして、そのままJRで、各駅停車で、鹿児島中央まで行きました。
その中では、熊本あたりだと思うが、スイッチバックして進んだのも記憶にのこっている、また、停車駅で、5分ほど停車しているので、駅に降りることもできたのを思い出します。
鹿児島中央についたのは、終電の時間頃だった。駅を降り街をわからず進みそこでまた、カプセルホテルで泊まり次の朝、まだ薄暗かったと思うが、てくてく歩いて、鹿児島港まで行き、フエリー(クイーンコーラル)に乗り、まるまる1日かけて沖縄まで行きました。
那覇港に、次の朝つき、何もわからない街をまた歩き、国際通りまでいき、そのあたりを散策しました。
国際通り近くに、県庁や、パレットクモジというデパートみたいなところもあった。
沖縄についた時には、すでにお金が底をついていました。どうしたらいいのかと考えている間に時間が過ぎて、夜になっていたのを記憶している。カレー屋で、カレーをタダで食わせてもらったり、露店のおばさんに、おにぎりと、から揚げをもらったりもしました。
人の優しさにもおおいに触れました。
沖縄の基地周辺や、モノレール、那覇空港などを、歩きまわり見学したのを覚えています。
最終的には、親に連絡して、数万円を送ってもらい帰宅しました。
親には、本当にご迷惑をかけたこと、またお世話になったことを感謝しています。
冒険旅行もわくわくしていいものですが、ただ、少し現地のことを調べて予習をしておくともっと、感動も大きなものになると考えますし、より鮮明な記憶に残るとも考えます。
こういう旅行をすると、計画が重要であることがよくわかります。
1人旅は、人間社会の厳しさを痛感するときもありますし、人の優しを痛感するときもあります。1人で自由に行動できる喜びもかみしめられます。
実際の、生活も、特に誰からも何にも言われずに生活できます。その自由な中での、行動が今後の自分の将来を決めていきます。
私の、1人旅は、最終的には大赤字に終わりました。得るものはあったと感じてますが、自分の実際の生活では、もっと慎重に、計画をたて、皆様に迷惑をおかけしないよう生活して、自由に生活できればいいなと感じます。そして、その自由であることに感謝しなくてはならないと考えます。