この道一筋について
日本人は「純粋型」志向が強く、「この道一筋」で1つの仕事をしている人が尊敬される傾向があります。でも、「この道一筋」とは、実は非常に地味な仕事についていう言葉です。人が「そんな仕事を一生できるかよ」というような仕事を黙々と続けることをいうのです。だから、たとえば政治家の仕事については、「この道一筋」といわない。人の関心は変わるし、状況も変わります。にもかかわらず同じ仕事を続けてきたということは、その仕事に一生を賭けるに値するような価値があり、「世間では地味な仕事と思われているけど、それだけではすまないんだ」と言いたいのだと思うのです。そこを誤解して、1つのことにこだわっていることそのものがいいことなのだと考える人がいます。でも、「この道一筋」は仕事についていう言葉であって、なにか1つのことにこだわる態度が大事なのではない。だから養老先生は、いつも「自分に専門なんてない」と言っています。といっています。(環境を知るとはどういうことか 流域思考のすすめ 養老 孟司・岸 由二)
私は、いろいろな仕事(アルバイト)をやりました。もうこの道一筋といえるものは、一生つくることはできないと考えます。
ずっと同じ職を続けるのを憧れたときもありましたが、生きていかなくてはならないということもあり、もだえるといいますか、人生で右往左往する時がありました。本当に生活に困りました。何かの本で、人生で得意分野の深井戸を2つ、3つ掘るのがいいのではないかということを見たときがあります。これは養老先生のいうところの仕事ではない話ですので、この道一筋の道の話ではないですが、その道に通じる深井戸が掘りやすいのではないかと考えています。
私は、事情があり、仕事をかえていき、そのことでそれに関連する深井戸を掘っていきたいと感じでいました。仕事を変えざるおえなかったということもありましたが。
なんにも、考えずに業務を行っているとできた仕事が、真剣に仕事のことを考え始めると、もうこの仕事はできないな、と考えにいたる仕事もありました。
また、実際には生活していくわけですから、食べていけるかいけないかの問題も大きくのしかかります。儲からなければ、仕事をかえていかなくてはなりません。私もそれを、経験しました。
この道一筋うらやましいです。