1日3度の食事について
大昔から、おそらく奈良時代あたりまでは、狩猟と農耕を兼ねていたでしょうから、食事は1日1食、一日の労働が終わった最後にとるのが普通だったようです。
2食になったのは、栽培農耕が可能になり、食料が保存できるようになってからと思われます。
その時代、農民は夜明けと同時に起きて、仕事をします。
暑くなる前の10時頃には仕事を止めて、その日初めての食事を摂ります。
そして、暗くなる前に晩の食事をして寝てしまう、というような生活スタイルだったようです。
このような習慣はかなりあとまで、農家に残っていたところもあるようです。
富裕階級も昔は2食でした。後醍醐天皇(在位1318~1339年)勅撰「日中行事」には、 「朝の御膳は、牛の刻なり、(中略)申の刻に夕の御膳まいる」と記されていたようです。
牛の刻は、今の午前11時頃から午後1時までの間を指しますから、昼頃にその日初めての食事を摂り、夕方暗くなる前に食事を摂って休んだのでしょう。
3度の食事を摂るようになったのは、鎌倉時代、永平寺の開祖道元が、中国からその習慣を持ち帰ってからとされていたようです。
それが次第に支配階級や僧侶たちの間に伝わって、武士階級がすべて朝・昼・晩の三食を摂るようになったのは、江戸時代中期以降のことです。
これが町民の間にも普及し、明治維新によって武士階級が崩壊して新政府が平民を集めて軍隊を作り、彼らに武士階級と同じ食事方式を採用したので、1日3食の習慣が全国的に普及するに至ったようです。