自由なんてあるのかよ。について
本当の意味での「人民の政治」を実現するためには、徳と知恵を兼ね備えた優れた人物による政治が必要で、民主主義が人民のためにさえならない劣悪な政治の仕組みであるとすれば、別の仕組みがそれにとって代わるべきなのでしょうか。
そういうことで昔から、優れた徳のある、十分な教育を受けた少数の人間が政治を取り仕切るのが、政治の最も良い姿であるという主張が繰り返しされてきました。その方が目標もはっきりしているし、それに向けての方法が合理的に考えられることができ、万事整然とした形で、政治が行われるはずだというわけです。(民主主義という不思議な仕組み 佐々木毅著より)といっています。
やっぱりそうなのかという感じ、ビートたけしもよくテレビで、100人の馬鹿より、1人の天才だよな、とよく言っていた。そんなもんかな、馬鹿の中にもいいアイデア持っている人もいるんじゃないの、なんて私は考えていたが…そういうことなんですね。一般人としては何か悲しい気持ちになる。ケインズも「ハーベェイロードの前提」とかいって、頭いい人が国を動かしていくと言っています。私の死んだ父は農業をやってましたが、「自由なんてあるのかよ。」とよく、ひねくれた感じで私に言ってきていました。まさに、70年ぐらいその感覚、自由なんてない、押しつけられた状態で生きてきているのです。偉い方が考えたことを指示通りに真面目にやっていく、寂しいけれど私も父親と同じです。しかし、それで十分食べていくことができるなら納得もいくところです。もし、それで食べていくことができないなら・・・。